手しごとの庭

新年あけましておめでとうございます。

2018年、まっさらな時間を目の前にすると、
まっさらな気持ちが満ちてきます。
正月という節は、美しい余白を与えてくれるんですね。

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昨年は、作り手の方々から新たな展開をうかがうことが多くありました。
土地や家を手に入れることになったひとたち。
工房や自らの作品を展示する空間を創りだしたひとたち。
おめでとう!おめでとう!!
そのような話をお聞きするたび、うれしくって仕方ありません。
皆さん、それぞれにお仕事が充実してきた証ですね。
次の地平に漕ぎ出して、いっそうご自身の想い描いてきた制作、
人生に邁進されることでしょう。

出産や、お子さんの進学などの成長の節目のお話を伺うことも多くありました。
待望の第一子や、二人目の子の父や母となったひとたち。
手のかかる幼子が、高校や大学に進学する眩しい青年の親となったこと。
おめでとう!おめでとう!!
その姿に触れるたび、うれしくって仕方ありません。
子どもの成長は、そのまま親の成長でもあるんですね。
育児と共にあった時間の中で、濃密に、精一杯、制作に励んだ実りは、
子どもから少しずつ手の離れていく時間の中で、
一層密度を増して、輝き出すことでしょう。

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元日という余白の時の中で、久しぶりに自著を開いてみました。
「手しごとを結ぶ庭」
2006年11月発行。
ヒナタノオトは2006年12月1日にオープンですから、
初めての出版と、初めての自らの店舗の開店が同時進行でした。
その渦中にいるときは意識していませんでしたけれど、
大きな波のような時間だったのだと思います。

「・・・
けれど、機は熟した。
今、ここに、私なりの小さな実を結んだ。
それを実感することも大切な仕事なのだ。
このままここに留まっていたら、いつのまにかに腐ってしぼんでしまう。
実ったささやかなものをこそ弾かせることこそ、
次の花や新しい果実につなげていくこと。
そう気持ちが固まっていった。」

長く勤めた会社から出て、自らの店舗をひらくときに綴った文章。
11年が経って、新鮮な想いで再会しました。

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「・・・
私が夢想するのは、花壇あるいは畑や庭。
もっと言えば土。作家や作品と根っこから関わっていきたいと思うのだ。
作家や作品を集めるというより、それらが生長していくような場。
作品が生えてきたり、実ってきたりするように感じられる、
ほかほかの土のようなショップ。
そんな場所を創っていけないだろうか。」

あらためて出会ったこの文章には、
今も変わらない仕事への想いの原点が綴られています。
この想いを胸に抱えて浜町のビルの二階で
ヒナタノオトを開いたのでした。
この根っこの想いが、現実のさまざまな大波小波の中でも、
行く方を見失わせずに、こうして仕事を続けさせてくれました。

それでも、あらためて思い返すと、
日々の中でかたまってしまっている「土」や、
耕せていない「土」もあるなぁという気づきます。
できてきたこと、まだできていないこと。
まだ花や果実を見れていないけれど、
これからの時間の中で、ぜひ咲かせたい花、
実らせたい果実があることに希望が湧いてきます。
そのために、「土」をふかふかとさせたいと。

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一昨年、昨年といただいた実り。
それらを次に弾いていくための力に出来ればと思います。
新たな気持ちで、ふかふかな土、場をつくっていきたい。
元日、そのことを深く思いました。

成長、進化しながら制作の、人生の時を熟していく作家たち。
出会えたそれらの人たちから佳き刺激をもらい、響きあいながら、
私の庭作り、人生の時を熟していこうと思います。
そんな場を「手しごとの庭」と心の中でなづけて、
その構想をたずさえて、新たなフェーズに入っていこうと思います。

一滴(ひとしずく)

建築家は どんな家をつくるか いろいろ考えて 設計します
作曲家ににています
建築家は その家ができあがるまで 工事のかんとくをします
オーケストラの指揮者ににています

「ル・コルビュジェ 建築家の仕事」
現代企画社
作 フランシーヌ・ブッシェ ミッシェル・コーアン
絵 ミッシェル・ラビ
訳 小野塚昭三郎

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「工房からの風」が終わって一息ついたころ、
私の誕生日が巡ってきます。

野外展の日、会場である庭で、
友から少し早いプレゼントを受け取るようになって10年になるでしょうか。

今年の贈り物が、この絵本でした。

コンクリートのような質感と色合いのボール紙の暑い表紙。
鮮やかな色のコントラストも、紙の風合いの中でシックに感じられます。

「工房からの風」のディレクターは、
作曲家よりオーケストラの指揮者ににています。

添えられたバースデーカードには、こう綴られてありました。

タクトではなく、今年は雨対策でスコップ持っていた私だけれど、
学生時代からの友人がそのように感じて、伝えてくれたことが、
何よりの贈り物になりました。

この本は刷りたてほやほやだそうで、代官山猿楽祭のイベントで、
末盛千枝子さんの講演会で見つけてくれたとのこと。
サインも添えられてありました。

末盛さんといえば、末盛千枝子ブックス。
ヒナタノオトでもご紹介していました。
(現在はすえもりブックスを閉じられて、新たな活動をされています。)
詳しくはこちら → click

この本を手にしたのも、「工房からの風」の日。
手仕事の庭の中で、この友の手からでした。
そう、この庭で初めて受け取った友からの贈り物が
「ゴールディーのお人形」(M.B.ゴフスタイン)だったのでした。

この本との出会いを書いた昔のブログを久しぶりに探し出してみました。
2007年10月。
ちょうど10年前だったんですね。
→ click

昔の記事を読むのはどこか恥ずかしくもありますが、
当時の新鮮な想いが綴られています。
変わらない想い、進化した想い。

本。
それは読んだときに気づいたり、感動したり、新鮮な想いに包まれるけれど、
そのストーリはいつしか自分の時間、人生と撚りあって、
自分のストーリーに織り上がっていく。
今の私の中には、一滴(ひとしずく)、この本の養分が流れているのだと思います。

壁を飾る

菅原博之さんの「花カベ」と名付けられた掛花入れ、
下の方が上の部分より小さく作られていて壁にかけると口が手前になるため、
植物を挿すと私と向かい合います。
今日は、鉄線の実と、、

壁側の中央に光が入って美しいです。

とりもと硝子店さんの 「シリンダー」
ガラスと水がつくりだす表情、フックも自作です。

壁に花を描いたように見えますね。

そして、最近のお気に入りが穀物や種を入れて壁を飾ること。

光が射すと、氷のようなきらめきになるところも美しいのです。

ちいさなうつわ (ガラス編)

掌におさまるくらいの大きさのうつわが好きです。

由良園さんの「花びらの小皿」
楡の木の下で花びらが風に舞う様を見て描いた、
とお話をうかがいました。
花びらは外側を削っているため、
表面から見るとその立体感でまるでうつわに舞い降りたかのようです。

由良さんの手は、ガラスのカッティングにも
素晴らしい意匠を作り出します。

縁の厚みは同じですが、外側はカットした面と吹いたままの部分が交互になり、
縁よりも少しはみ出した部分が受ける光の屈折具合が絶妙です。
うつわの中に入れた物の色が、口の部分に映り込むのです。

津田清和さんのうつわは様々な技法でそれぞれの美しさが輝きます。

夏のおたのしみ桃サンド 

食の時間をことに大切に暮らす陶芸作家の松塚裕子さん。
桃の季節ならではの記事をお寄せくださいました。
読み終わったら、すぐに桃を買いにいきたくなりますよ、きっと。

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今年も大好きな桃の季節がやってきた。
箱を開けると、ふわふわと光る産毛につつまれた美しい色の桃がごろごろ。
小さな生き物を愛でるようにそっと手の平にのせて、
しばしその手ざわりや重みを楽しむ。
追熟を待つあいだに、部屋の中にひろがる香りまで甘くおいしい。

果物はまるかじりが一番!という家だったので、
夏の朝には洗っただけの桃がそのままごろんとお皿にのってでてきた。
実をきずつけないよう、淡い色した薄紙をはがすように慎重に皮をむいて、
クリーム色の果実をがぶり。
起きたての、額にぺっとりと張り付く髪もそのままに、
あふれる果汁で手をべたべたにしながら無心で食べる桃の美味しかったこと!
物心ついてから、よそのお宅で美しいくし形に切りそろえられた桃が出てきたときは、
「桃ってこうやって食べるんだあ」と心底おどろいた。
桃サンドのことを知ったのは、
どこかで読んだ川上弘美さんの短編小説だったと思う。
そこに出てくるのは、切った桃を食パンにはさむだけのシンプルなものだった。
桃のみずみずしさをパンで受け止めるようにして食べる場面がずっと心に残って消えなかった。

さまざまな記憶の中の桃の姿を追いかけながら、
この夏何度もくりかえし作った桃サンド。
まるかじりを存分に楽しんだのち、
夏の昼下がりにしっとりと冷やして、ぜひ召し上がってみてください。

材料 
桃 1個
サンドイッチ用の薄い食パン(おすすめは10枚切りのもの) 4枚
生クリーム(乳脂肪分が40以上のもの) 150ml
砂糖 大さじ2~お好みで
水切りヨーグルト 大さじ3~お好みで
※ヨーグルト200mlをコーヒーのフィルターに入れて一晩ほど水切りしておく
レモン果汁 大さじ1

1・桃の皮を丁寧にむいて、くし形に切り分ける。変色しないようにレモン汁を振りかけておく。

2・生クリームに砂糖を加え、氷水にあてながらとろんとするまで泡立てる。

3・2に水切りヨーグルトを加えて、パンに塗れる固さになるまでさらに混ぜる。
  加えるヨーグルトを増やすと、よりさっぱりめに仕上がります。好みに合わせて加減してください。

4・パン4枚全てに、クリームをこんもり塗る。真ん中にむかって少し多めにのせるとよいです。パン2枚分に、くし形にした桃をのせてクリームを塗っておいたパンでサンドする。上からむぎゅっと全体をやさしく押して、パン、桃、クリームを密着させる。

5・4をそれぞれラップでぴっちりとくるみ、冷蔵庫へ。1~2時間ほどねかせて、全体をなじませてしっとりさせる。

6・耳を切り落として、お好みの形に切る。

できあがり。桃はぜひ、完熟のやわらかい甘いものを!

Text,Recipe & Photo | 松塚裕子

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松塚さんの器に盛った桃サンド。
なんともおいしそうですねーー。

松塚さんからは少し前にご寄稿をいただきながら、
すぐにアップできずにすみません!!でした。
桃もピークが過ぎてしまいそうです。
ぜひ、どうぞ、お早目に。
新たな記憶の頁、おいしく綴ってみてくださいね。

松塚裕子さんのHPはこちらになります。
→ click

鴨川産夏蜜柑のケーク

さわやかな初夏に、とっておきのデザートレシピをひとつ。
ご紹介いただくのは金工作家 Anima uni の長野麻紀子さん。
作品の世界観に通じる透明感のあるお写真とあわせてご覧ください。

夏蜜柑の爽やかな香りをたのしむケーク。
マーマレードを使うことで、しっとりふわふわの触感に仕上がります。

〈材料〉直径15.5cmの丸型 1台分
○生地
卵黄 3個
無塩バター 70g
砂糖 30g
夏蜜柑マーマレード 大匙3
夏蜜柑の皮のすりおろし 1/2個分
柑橘類のピール 数枚
夏蜜柑果汁 小匙1
レモン果汁 小匙1
アーモンドプードル 40g
薄力粉 70g

| 卵白 3個分
| 砂糖 30g (卵白用)

○アイシング
粉糖 70g
夏蜜柑果汁 適量

○飾り
柑橘類のピール 数枚
あればミントの葉っぱ

<作り方の手順>

型にオーブンシートを敷く、もしくはバター(分量外)を塗って薄く薄力粉をはたいておく。
柑橘ピールは細かな微塵切りにして夏蜜柑果汁でふやかしておく。
バターは湯煎もしくはレンジで温め溶かしておく。
オーブンを180℃で予熱する。


ボウルに卵黄を割りほぐし砂糖を加えながら泡立て器でよくすり混ぜる。
溶かしバターを分離しないよう少しずつ加え、ふわっとするまでよく混ぜる。


マーマレード、夏蜜柑の皮のすりおろし、柑橘ピール、残りの果汁を加え、さらに混ぜる。


別ボウルに卵白を泡立てる。
途中、砂糖を3回に分けて少しずつ加えつつ、角がピンと立つまで泡立てる。


手順③にアーモンドプードルと薄力粉をふるい入れ、ヘラでさっくりと混ぜる。
混ぜきらずとも粉が多少残るくらいに。


手順⑤に泡立てた卵白を3回に分けて加え、ボウルの底からヘラでさっくり混ぜる。
卵白ができるだけ潰れないように混ぜるのがふわっと焼きあげるこつ。


型に流し入れ180℃のオーブンで50分焼く。
表面がキツネ色になったら(オーブンにもよりますが25分くらい)、
焦げすぎないよう型に合わせたアルミホイルの蓋をふわっと乗せてさらに焼く。
竹串を刺してみてなにも付いてこなければOK。


アイシングを作る。
粉糖に夏蜜柑果汁を適量加えてスプーンでなめらかになるまでよく混ぜる。
やや固めが望ましいでしょう。
飾り用の柑橘ピールは斜め薄切りに。


焼きあがったら冷めきる前に生地を型から取り出し、
粗熱が取れたらアイシングをかけて柑橘ピールを飾る。
あればミントの葉を彩りに添える。

夏蜜柑はぜひとも無農薬のものを。
手に入らない場合は、丸ごと粗塩でごしごし洗って皮に付いたワックスを落としてから使います。
柑橘類のピールは夏蜜柑が手に入れば最高だけれど、レモン、オレンジ等なんでもOK。
柚は香りが強いため、そのほかの柑橘がおすすめです。

Recipe & Photo | Anima uni 長野麻紀子

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こちらの「鴨川夏蜜柑のケーク」の夏蜜柑は、店主稲垣早苗が鴨川で採取したものです。
ヒナタノオトで5月に開催した「Anima uni あめつち」展の会期中に、
長野さんが美味しいケークにしてくださいました。

大野七実さんのスクエアプレートに盛り付け、紅茶とともに。
安齋新さん、厚子さんのカップ&ソーサーはヒナタノオトでご案内しています。
しっとりとした白味の色調が美しく、丁寧な手仕事による和やかで品のよい器です。
大野七実さんのスクエアプレートは現在欠品中ですが、
丸皿、オーバル皿はございます。

スクエアプレート 大野七実
コーヒーカップ&ソーサー 安齋新 厚子

cups

娘が幼い時に読んだ絵本、
『おやすみなさいのほん』は、夜になると皆、
「自分の場所」で眠りにつくというおはなしだが、
その中にこんな箇所があった。

じどうしゃや とらっくや
ひこうきも
おうちに はいります
じどうしゃの おうちは がれーじです
ひこうきの おうちは かくのうこです
どの えんじんも とまります

しずかな えんじん

とりたち、さかなたち、けものたち、
と紹介された後に現れるこのページは、
生命あるものも、そうでないものも皆ひとしく
「それぞれの場所で眠りにつく」という発想が、
とても新鮮に思えたものだった。

たまにしか使わない器も、毎日使うご飯茶椀も、
私の家では食器棚の中に、ちゃんと場所を持っているが、
家族3人それぞれの専用カップは、その扉の中にしまわれることがない。

シンクの前に立った時にすぐに目に入る、出窓前の簡易棚
(ザルを置いたり、洗ったビンを乾かしたり‥)に
いつでも、置かれたままになっている。
「はたらきもの」という言い方もできるし、
私たちがズボラな性格だからという見方もあるが、
一番の理由は、手にとる機会が多いいので、
使い終わるたびに、いちいちしまっていられないということだ。

私の愛用のカップは、小ぶりの粉引の陶器、中本理詠さん作。
夫のはたっぷりサイズで、しのぎ模様がはいった、加藤仁志さん作。
娘は淡い黄色ですっきりしたフォルム、萩原千春さん作、を使っている。

朝起きて、まず私は白湯を飲む。
今の季節なら、そのあとに、梅シロップを3つのカップに注ぎいれ、
水割りを作っておく。
起きてきた家族がそれを飲む
(レモネードの時もあるし、寒い時期なら、
柚子や金柑ハチミツのお湯割りになることも)。

朝食の時には、緑茶を飲み、
夫と2人の昼食の後には、コーヒーをそれぞれのカップで。

お風呂の後や、眠る前には水を飲む。
私のカップは小さいので、何杯も水を飲む。
夫のカップには豆乳が入っていることもあるし、
娘のカップは(20歳過ぎた今でも)麦茶か牛乳が定番だ。

愛用のカップを前にして、カップにとって、
大切なことはなんだろうと考えてみる。

飲みものがこぼれないということ。
重すぎないということ。
壊れにくいということ。
口あたりがよいということ。
見た目の好ましさも、愛らしさもきっと大事な要素になる。

3つのカップは、作者も、
私たちひとりひとりの手元に来た経緯も違うけれど、
共通しているのは機能面の確かさはもとより、
「手にとってみたい」ものであるということだろう。

私たちは目に見えないもの‥気持ちや記憶など‥
に直接さわることができない。
だから、目に見え、触れることができる「何か」に託し、
そのものを慈しむ。
それは一緒に読んだ本だったり、気にいっているシャツだったり、
愛用の鞄だったり、指輪だったり、もちろんカップだったり。
嬉しい気持ちも、忘れたくない想い出も、
自分の手で直接握りしめることはできないけれど、
カップを包み、満たされたカップを通して、
熱さや冷たさを感じ取ることはできる。

たとえば朝。
飲みたいもの、体が欲しいと感じているものの中に、
一日の穏やかさを願う気持ちが、入ってはいないだろうか。

たとえば夕暮れ。
いつでも心を温めてくれる想い出が、
風の匂いとともに、カップの中でゆらゆらと動いてはいないだろうか。

そうして、私たちは、目に見えないそんな想いを、
ゆっくりと体の中に入れていく。

夜中に目覚め、薄暗がりの中で、冷たい水を喉へおくる。
見えないけれど、確かにあるもの。眠らない、私のカップ。

*『おやすみなさいのほん』マーガレット・ワイズブラウン 文
ジャン・シャロー 絵   いしい ももこ 訳

文 水谷英与
写真 水谷芳也

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『私たちは目に見えないもの‥気持ちや記憶など‥
に直接さわることができない。
だから、目に見え、触れることができる「何か」に託し、
そのものを慈しむ』

触れられるもの、触れることができないもの。
「何か」が、誰かの「手の仕事」であること、
もあるということ。

『嬉しい気持ちも、忘れたくない想い出も、
自分の手で直接握りしめることはできないけれど、
カップを包み、満たされたカップを通して、
熱さや冷たさを感じ取ることはできる』

読みながら、じんわり切ない気持ちになってきたのは、
私だけでしょうか。
カップを包む、というささやかな所作にも、
広く深い想いが広がっていくのですね。

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ご寄稿くださった水谷英与さん、ありがとうございます。
水谷さんは、ご夫婦でオリジナルのTシャツを制作販売されています。
クールなイラストがシルクスクリーンで一点ずつ刷られています。
ヒナタノオトスタッフやそのつれあいも愛用中。
10周年記念の新柄も出たようですので、ぜひご覧ください。
→ BOOTS&STICKS
(ブログの超こだわり記事や、ランチの記録などが、超絶おもしろいです!)

大谷桃子さんのバナナの葉オーバル皿

大谷桃子さんの代表的なモチーフバナナの葉、
添うように描かれ、盛ったものを引き立ててくれます。

中央の平らな部分には、何を盛ってもあいます。

さくらんぼを、サラダを。

そして、美味しくいただいた後のオーバル皿の表情も満足感に満ち溢れています。

大谷哲也さんのライスクッカー

シンプルな形の炊飯鍋。
以前作者のお宅に伺った時に、
大きな平鍋やライスクッカーでつくってくださったお料理を
哲也さん、桃子さん、それぞれの器でご馳走になりました。

その時から気になっていた「ライスクッカー」が
我が家にきてからは、炊飯に大活躍です。

研いだお米を十分に浸水させてから火にかけて15分、
蒸らして15分で美味しいご飯が炊けます。

炊きあがりの直前に蓋がカタカタ動いて、
もう直ぐですよ、と教えてくれます。

おこげにしたい時は少しだけ炊飯時間を長くします。
自在に付き合えるのがうれしいですね。

今日はトウモロコシご飯にしました。
明日は、大豆を煮る予定です。

「よろこびのいろ」大野七実

初めて出会ったとき、大野七実さんは美大生でした。
卒業後は陶芸のアトリエで働きながら自らの制作に励み、
ときどき私が携わっていたギャラリーの展示替えを手伝ってくれました。

お皿やカップなどの食器をメインに制作していましたが、
あるとき、円形の愛らしいふたものを作って、
ギャラリーに持ってきてくれたのです。

わ!ボンホルム島の円形教会にそっくり!!
七実さんにそう伝えましたが、何のことだろう?
とピンとこない表情で私の話を聞いてくれました。

私が学校に通ったデンマークの島に建つ印象的な円形教会。
見ることなく、その佇まいを姿にしたひとと、
20年ほどの時を経て、共にその教会へと向かう旅に出たのでした。

 イナガキサナエ

「よろこびのいろ 」
大野七実(陶芸作家)

普段のわたしなら、きっとすぐに返事はしなかったでしょう。
「行きたい」
早苗さんのお誘いにそうこたえた自分に、いちばん驚いたのはわたし自身でした。
そうして3人の旅は、引き寄せられ、自然の流れのようにはじまったのです。

早苗さんが何度も訪れているデンマーク。
ずっと昔に教会のことを話してくださったその時から、
そこは遠くにぼんやりと存在する憧れの場所でした。
その地についたとき、自分がそこにいることがしばらく不思議で信じられないままでした。

風も空気も色もぜんぶが爽やかで、人々の笑顔や揺れる木々の緑がいちばん美しく輝く季節。
夜になっても日が暮れないこの夏至の時期。
見るものすべてが新鮮で活き活きと色鮮やかにこの眼に飛び込んできました。

冬のデンマークをわたしは知りません。
長く長く続く静かな夜。
きっとそんな冬があるからこそ、
北欧の人たちはいまのこの輝く季節をより大切に過ごしているんだろうと思うのです。
この旅で出会った人たちみんなに通ずることは、
それぞれが自身の暮らしを楽しみ、喜び、慈しみ、それぞれの今を明るく生きている。
もしかしたらその根源は、
ひかりの向こう側にある対なもののちからから湧き出ているのかもしれません。

鳥のさえずりもまた、幸せの音符が並び、
歌うように軽やかに、心地よいリズムを奏でていました。
それがなんとも楽しげで鳥ばかり探しては見ていたように思います。

日本に帰ってきて驚いたことは、
鳴いてるっ!
朝日が昇るころ、おはようと挨拶しているかのように。
今まで聴こえなかったのか、聴こうとしていなかったのか、
自然と耳に届く鳥たちの声。
じぶんの中で何かが動いた証でしょうか?
無意識の目覚めは、見慣れた景色を喜びの色に変えてくれたのです。

笑いっぱなしの旅の友、
のまちゃんの笑顔はこの旅の太陽みたいに終始私たちを照らしてくれていました。
最終日、そののまちゃんの抱える想いの影の部分が、
3人の会話の最中にすーっと空へと飛んでいった瞬間。
その清々しくうつくしい彼女の顔をわたしはずっと忘れません。
そこへ導いた早苗さんの言葉とともに。

今回の旅のこころ強い案内人、早苗さんが幾年もかけて結んできた人々との繋がり。
ただの観光旅行では感じることのできないことばかり。
その大切な時間の一片にふれさせていただけたとが、この旅いちばんの宝ものです。
人と人とをつなぐこと。
わたしが若いころに巡り会ったその人はずうっとそうして、ひとを見て繋いできた人。

自分のつくったうつわもまた、わたしと誰かを繋いでくれる。
自分のつくったものが誰かの喜びに変わるとき、わたしの重ねてきた時間が満たされる。
このデンマークの旅で感じたものが時を経て、
うつわの奥に気配となって潜んでいくことが今から楽しみでなりません…

なんども眺めていたヒナタノオトに貼ってあるボンホルム島の地図。
きょう見てはっきりと思ったことがあります。
遠い異国の地はいま、わたしが歩いた場所に変わり、
実感として、しっかりとこころに刻まれている。

そのことを素直に喜べるじぶんが、そこにいました。

text and photo   大野 七実

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デンマーク、ボンホルム島には4つの円形教会が建っています。
七実さんが撮影したのはバスから見えたNykerの教会です。
私も車中から撮ってみました。

20年以上も前、その存在も知らずに作った七実さんのふた物を彷彿させる佇まい。
教会を見つけたときの車内での七実さんの表情、
生き別れていた同胞に出会ったような、不思議そうな、なつかしそうな、
愛おし気な表情が、とても印象的でした。

今回、3人で実際に訪ねてみたのは、
4つの円形教会の中でもっとも大きなØsterlars(エスターラス)教会。
入り口で七実さんと記念写真を撮ってみました。

デンマークへと七実さんを誘ってくれたかのような円形教会。
この旅は、まだきっと始まったばかり。
これからデンマークを通じて、七実さんはどんな出会いを果たしていくのでしょうか。

〇4つの円形教会、ぜひ見ていただきたくて画像を探してみました。
今も地域の方々に大切にされている、それぞれに愛らしい姿です。

→ click

七実さん、nomamaさんとの旅の扉の続きは、
ボンホルム島にある美術館での展示のお話しなども。
その前に、ユトランド半島北部にあるISAGERさんの工房のお話しもありますので、
ゆるりとなりますが、進めますね。

イナガキサナエ