春一番

昨日の風は強かったですね。
鴨川の家の周りでは実生の木々がしなるほど揺れて、
冬の空気をぐるんぐるんと外に振りまいているようでした。
春一番だったそうですね。
そんな強い風に、籠りがちだった気持ちもふーっとしたくなりました。
以下は工芸帖ではなくて、個人の気持ちのつづれ織りのようなことですので、
興味のない方はどうそスルーしてくださいね。

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ここ数年、なんとなく一年の流れが生まれていました。
気持ちの流れ。
10月の工房からの風が活動期のピークとしたら、
11月12月は忙しさをそのままひきずりながら活気ある時間を過ごし、
1月2月3月は、その反動でしょうか、気持ちが籠りがちになります。
桜の頃から、工房からの風のワークも動き出し、
それとともに時間を漕ぐ速度がぐんぐん早くなって、
10月を迎えていきます。

昨年は立春の日に父を見送ってから、
しばらくさまざまな後片付けの時間がありました。
とても始末のよい人だったと感じましたが、
それでもひとりの人間が消えることで、
遺されたものがすべきことはたくさんありました。
そんなあれこれが片付いた後、気が抜けてしまったのでしょうか、
まったく起き上がれなくなってしまったのです。

その後、今まで読まなかった種類の本を読んでみたり、
カウンセリングをしてくださる方を見つけて、
3人の方を訪ねたりしました。
どの方との時間も、その時の私にはきっと有効だったのだと思います。
気が付けば新鮮なもののとらえ方が芽生え、
子どもの頃の素直な感覚が呼び戻されて、
再び元気に時間を漕ぐようになっていたのです。

けれども、やっぱり、1月から戻ってしまったんですね。
なんとなく自分にブレーキをかけてしまう。
他者の声を気にしてしまう。
何がというのでもないのですが、悲しい感情に心を泳がせてしまう。
(案外、それって心地よかったりしちゃうのです)

自分を生きていない。
昨年ひとりのカウンセラーの方にそう指摘されたときは、
納得がいかない感じでした。
十分好きなことを好きなようにやっているでしょ、
っていうような自分だと思っていましたから、

でも、少し時間が経ってから、そうかもしれないなー
と思えてきたのです。
しっかりものの長女であり、病弱だった弟の姉であったり
したことがベースかもしれません。
でも、本来の自分はなんにでも興味津々で、誰にでも心を開いて、
どこにでもついていくような子どもでした。
(誘拐されるのではないかと、親はいつも心配だったそうですから)
ブレーキをかけず、疑わず、心に光が射す方へ向かっていく力。
そんなことを心に置きながら昨年の桜の頃から夏に向かって、
少しずつ元気を取り戻していったのでした。
冬に入って再び縮こまってしまった気持ち。
またほぐしていこうと思います。

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コルトンから発行している「風の音」。
私とうさ村さんのふたり編集部で作っている小冊子ですけれど、
その中の「言葉のアロマ」という頁で、毎号季語を紹介しています。
今号は「冴え返る」。
春はひといきに訪れず、寒を戻しながらも、確かに温もりの季節に進んでいく。
何がというのでもありませんが、ちょっと重たい数か月でしたけれど、
そんな時間だったから想い、考え、育ったこともありました。
けれど、そろそろ心に春をひらいていこう、そんな気持ちです。

ここのブログもブレーキがかかっていました、きっと。
訪ねてくださる方が不特定多数に増えて、お知らせしか書けなくなってしまって。
なんだか客観的でなければならない、というか。

でも、一個人の店のブログですから、好きにすればいいのですよね(笑)
違和のあるだろう方を気にしているよりも、響いてくださる方
(それがほんの少しの方でも)を信じて存在していこうと思います。

あー、ちょっと、すっきりしました!
長々とした駄文を読んでくださり、ありがとうございます。
できれば毎日、出会い、心に何か奏でられたこと、書いていこうと思います。
うまく書こうとか思わずに。
超私感的に。

今号の「風の音」。
ご希望の方がいらっしゃいましたら、
コルトンプラザのインフォメーションカウンターで
しばらく配布しています。
私も著者分?で少し手持ちがありますから、よろしければ
メール☆でご希望の旨お知らせください。

ああ、あれも書きたい、これも書きたい。
今はそんな気持ちです。