響く言葉

手仕事は何やっても、あんまり儲からんのじゃわ。
人が竹細工をやってくれることは、嬉しいのう。
これはオッドンが(俺の)仕事を、畑を起こしてくれよるようなもんじゃきのう。
(廣島一夫さんの言葉より)

尚友が廣島一夫さんをお訪ねしたのは、2012年9月18日。
廣島さん97歳、ご逝去の半年ほど前のことでした。
この画像は、印刷物から私がスマホで撮ったものなので、荒くて恐縮なのですが、
この時に同行されたカメラマンの荒川健一さんが撮られたものです。
今回の図録の撮影も荒川さんが担当くださいました。
尚、左側に写っているのが小川鉄平さん。
1975年生まれ、廣島さんの晩年に接せられた竹細工師です。

家人との日常会話として、廣島さんのこと、
今展のことをずっと以前から聞いていましたが、
どこかほわんと輪郭だけ感じていたのですね。
今回、あらためて図録の元になった原稿を読ませてもらい、
これは所謂図録ではなくって、
廣島一夫さんを巡る言葉が幾重にも散りばめられた
書籍なんだと認識を新たにしました。

その時、師匠(工藤正則)は(仕事場に)居らざったが、
ちょうど俺ひとり居ったら、(ウシドンが)米揚げジョウケというショウケを作って、
注文のあったところに持って行きよらしゃったわ。
俺が見たそのショウケはりっぱなもんじゃったの。
俺に、「ショウケはこげんあるぞ」、と言われたとよの。
「ほんじゃから、正則が帰ったら、
そげん、ショウケはもう少し輪っぱを丈夫にするごつ言え」ち、
俺に言うて、そこを立ち去ったもんじゃった。
それぎり、その人に会えんもんじゃった。
(廣島さんの言葉)

廣島さんが竹の修業に入って間もないころの思い出話である。
1930年、昭和5年のことであるから、80余年前のことであった。
ショウケ(ザル)作りの大先輩であるウシドンが、配達途中に廣島さんの仕事先に立ち寄った。
あいにく、師匠は留守であった。
ウシドンは新入りの弟子に向かって、
「ショウケの縁を、もう少し丈夫にするように」、と言い置いて立ち去る。

この出逢いはすれ違いに近いものであったが、廣島さんはウシドンのことを生涯忘れなかった。
それは、手にしていたショウケの見事さにある。
竹細工の世界に弟子として入って一年も経っていないとはいえ、
できばえが見事であるかないかの判断はできたであろう。
工夫熱心な廣島少年であったから、見せられたショーケには、
自分が悩んでいる難問を解く鍵が潜んでいることを見抜いていたかもしれない。
そのときの、「(輪っぱは)こうせにゃあいかんぞ」というひと言が生涯、頭から離れることがなかった。
「立派な仕事をしちょる。ウシドンのようになりたい」と、
満十五歳の少年は夢みる。
後になってからだが、「ウシドンの仕事には、もう、一分の隙もない」と言い切った。
「ほんじゃから、人間は出会い(が)……」と、回想するとき、
「……どこに転がっているか分からない」と、無言のうちにつけ加えている。
これは、ウシドンとの出会いがなければ今の自分がなかった、と言っているに等しい。
(尚友の文)

最晩年になって尚、80年以上前にたった一度出会った人の
籠の美しさを瑞々しく心に湛えながらものを作ってきたひと。

もっとも、ウシドンそのひとと出会ったのは一度きりであっても、
その手になった籠には、その後何度も廣島さんは出会うことになります。
ジカタメグリというムラ内の農家を泊まり歩いて、
注文の農具を作りながら渡り歩く仕事をしていたときに、ウシドンの籠を見たり、
時には修理も受けもったりしたとのこと。

そうした折りには、日ごろは目にすることができない内部構造をのぞき見することができた。
「ウシドンが作る籠(の縁)はいつまでも丸いままなんです。
丸い籠は決して楕円になったり、へたったり、ばらばらになったりしませんでした。」
「ウシドンは使い手が見えない部分でさえ、手を抜かない仕事をしていた」と解説している。
「いつしか、ウシドンのようなショーケを編みたい」との夢みがくり返るなかで、
ウシドンの作品が努力目標になっていった。

・・・
・・・

竹割り包丁を握るとき、自分はウシドンの域にまで達したのだろうか、
そのことが頭をもたげる。
「ウシドンを超えた」と大見得を切るような質の持ち主ではない。
晩年の廣島さんから、技を直伝された小川鉄平さんが思い出を語ってくれたなかに、
仕事をしながら、「これだけはウシドンも、やっちょらんわい」と、
口に出しておどけることがあったという。
雲の上の存在であるウシドンであっても、
この工夫だけはしてないはずだ、といたずらっぽく軽口を叩くのだった。
それほどに、廣島さんはウシドンと生の会話を日常的に交わしていた。
七十余年前に一度だけ出逢ったウシドンとである。

・・・
  ・・・

高見を目ざすのは、世に出る機会を淡々と狙ってのことではない。
ジカタ(地 ぢ方 かた=地元)の百姓道具を作り、
ジカタの暮らしの役に立つことが自分の仕事なのだと、決めていたから、
ウシドンの生き方そのものが、目標の一部となっていた。
(尚友の文)

 

なんだか、長くなっちゃいました!

でも、廣島さんを巡る言葉の数々はまだまだほんの一部なのです。
なぜ、山峡の村で地域の人のために黙々と作り続けられてきた廣島さんの竹細工が
スミソニアン博物館や大英博物館に所蔵されたのか、
そこには、小さな村の一商店の跡継ぎさんとの出会いや、
その店を訪ねてきたスミソニアン博物館の学芸員との出会いがあって、
そのひとつひとつがドラマのような出来事で、何か一つが欠けていても
このように私たちの目に触れることはなかったのかもしれない、
そんなことも思います。

でも、廣島さんにとっては褒章を受けたり、評価されることは
二の次、三の次だったのではないでしょうか。
それよりも、

人が竹細工をやってくれることは、嬉しいのう。
これはオッドンが(俺の)仕事を、畑を起こしてくれよるようなもんじゃきのう。

と、小川鉄平さんのような若い作り手が、
真剣に竹細工を仕事として取り組んでいることと出会えたことが
何よりの喜びだったのではないでしょうか。

図録と言いながら、工芸を巡る、作り手、使い手、つなぎ手の
どの立場の人にとっても心に響く廣島さんの言葉と、
それをまとめた尚友の文章をぜひお読みいただければと思います。

クラウドファンディング、先日私のほうからご案内しましたところ、
早速にパトロンに加わってくださった方々がいらっしゃいました。
ありがとうございました。
あらためまして、ご検討いただけましたら、ありがたく存じます。

詳しくはこちらをご覧くださいませ。
→ click

 

3000円からになっていますが、
5000円ですと図録(と呼ばれている本)がお手元に渡ります。
また、10000円ですと、加えてオープニング、
またはクロージングのレセプションへのご招待があります。

お話会とオープニングレセプション
10月10日(月)祝日 13時~16時
「廣島一夫さんの魅力」
井上克彦(熊本県、竹細工職人)
聞き手、稲垣尚友(竹細工 トカラ塾主宰)

お話会とクロージングレセプション
11月6日(日)13時~16時
「廣島一夫さんから伝えられたもの」
小川鉄平(宮崎県、竹細工職人)
聞き手、稲垣尚友(竹細工 トカラ塾主宰)

ちなみに、私(イナガキサナエ)は、両方に出ようと、
共にパトロンとして加わりました。
ぜひ、ご一緒なさいませんか。

ヒナタノオトの企画ではなく、gallery-keianさんの企画ですが、
廣島一夫さんの仕事、言葉、ぜひお知りいただきたく、
あらためてご案内させていただきます。
ご協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。