手しごとの庭

新年あけましておめでとうございます。

2018年、まっさらな時間を目の前にすると、
まっさらな気持ちが満ちてきます。
正月という節は、美しい余白を与えてくれるんですね。

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昨年は、作り手の方々から新たな展開をうかがうことが多くありました。
土地や家を手に入れることになったひとたち。
工房や自らの作品を展示する空間を創りだしたひとたち。
おめでとう!おめでとう!!
そのような話をお聞きするたび、うれしくって仕方ありません。
皆さん、それぞれにお仕事が充実してきた証ですね。
次の地平に漕ぎ出して、いっそうご自身の想い描いてきた制作、
人生に邁進されることでしょう。

出産や、お子さんの進学などの成長の節目のお話を伺うことも多くありました。
待望の第一子や、二人目の子の父や母となったひとたち。
手のかかる幼子が、高校や大学に進学する眩しい青年の親となったこと。
おめでとう!おめでとう!!
その姿に触れるたび、うれしくって仕方ありません。
子どもの成長は、そのまま親の成長でもあるんですね。
育児と共にあった時間の中で、濃密に、精一杯、制作に励んだ実りは、
子どもから少しずつ手の離れていく時間の中で、
一層密度を増して、輝き出すことでしょう。

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元日という余白の時の中で、久しぶりに自著を開いてみました。
「手しごとを結ぶ庭」
2006年11月発行。
ヒナタノオトは2006年12月1日にオープンですから、
初めての出版と、初めての自らの店舗の開店が同時進行でした。
その渦中にいるときは意識していませんでしたけれど、
大きな波のような時間だったのだと思います。

「・・・
けれど、機は熟した。
今、ここに、私なりの小さな実を結んだ。
それを実感することも大切な仕事なのだ。
このままここに留まっていたら、いつのまにかに腐ってしぼんでしまう。
実ったささやかなものをこそ弾かせることこそ、
次の花や新しい果実につなげていくこと。
そう気持ちが固まっていった。」

長く勤めた会社から出て、自らの店舗をひらくときに綴った文章。
11年が経って、新鮮な想いで再会しました。

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「・・・
私が夢想するのは、花壇あるいは畑や庭。
もっと言えば土。作家や作品と根っこから関わっていきたいと思うのだ。
作家や作品を集めるというより、それらが生長していくような場。
作品が生えてきたり、実ってきたりするように感じられる、
ほかほかの土のようなショップ。
そんな場所を創っていけないだろうか。」

あらためて出会ったこの文章には、
今も変わらない仕事への想いの原点が綴られています。
この想いを胸に抱えて浜町のビルの二階で
ヒナタノオトを開いたのでした。
この根っこの想いが、現実のさまざまな大波小波の中でも、
行く方を見失わせずに、こうして仕事を続けさせてくれました。

それでも、あらためて思い返すと、
日々の中でかたまってしまっている「土」や、
耕せていない「土」もあるなぁという気づきます。
できてきたこと、まだできていないこと。
まだ花や果実を見れていないけれど、
これからの時間の中で、ぜひ咲かせたい花、
実らせたい果実があることに希望が湧いてきます。
そのために、「土」をふかふかとさせたいと。

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一昨年、昨年といただいた実り。
それらを次に弾いていくための力に出来ればと思います。
新たな気持ちで、ふかふかな土、場をつくっていきたい。
元日、そのことを深く思いました。

成長、進化しながら制作の、人生の時を熟していく作家たち。
出会えたそれらの人たちから佳き刺激をもらい、響きあいながら、
私の庭作り、人生の時を熟していこうと思います。
そんな場を「手しごとの庭」と心の中でなづけて、
その構想をたずさえて、新たなフェーズに入っていこうと思います。

一滴(ひとしずく)

建築家は どんな家をつくるか いろいろ考えて 設計します
作曲家ににています
建築家は その家ができあがるまで 工事のかんとくをします
オーケストラの指揮者ににています

「ル・コルビュジェ 建築家の仕事」
現代企画社
作 フランシーヌ・ブッシェ ミッシェル・コーアン
絵 ミッシェル・ラビ
訳 小野塚昭三郎

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「工房からの風」が終わって一息ついたころ、
私の誕生日が巡ってきます。

野外展の日、会場である庭で、
友から少し早いプレゼントを受け取るようになって10年になるでしょうか。

今年の贈り物が、この絵本でした。

コンクリートのような質感と色合いのボール紙の暑い表紙。
鮮やかな色のコントラストも、紙の風合いの中でシックに感じられます。

「工房からの風」のディレクターは、
作曲家よりオーケストラの指揮者ににています。

添えられたバースデーカードには、こう綴られてありました。

タクトではなく、今年は雨対策でスコップ持っていた私だけれど、
学生時代からの友人がそのように感じて、伝えてくれたことが、
何よりの贈り物になりました。

この本は刷りたてほやほやだそうで、代官山猿楽祭のイベントで、
末盛千枝子さんの講演会で見つけてくれたとのこと。
サインも添えられてありました。

末盛さんといえば、末盛千枝子ブックス。
ヒナタノオトでもご紹介していました。
(現在はすえもりブックスを閉じられて、新たな活動をされています。)
詳しくはこちら → click

この本を手にしたのも、「工房からの風」の日。
手仕事の庭の中で、この友の手からでした。
そう、この庭で初めて受け取った友からの贈り物が
「ゴールディーのお人形」(M.B.ゴフスタイン)だったのでした。

この本との出会いを書いた昔のブログを久しぶりに探し出してみました。
2007年10月。
ちょうど10年前だったんですね。
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昔の記事を読むのはどこか恥ずかしくもありますが、
当時の新鮮な想いが綴られています。
変わらない想い、進化した想い。

本。
それは読んだときに気づいたり、感動したり、新鮮な想いに包まれるけれど、
そのストーリはいつしか自分の時間、人生と撚りあって、
自分のストーリーに織り上がっていく。
今の私の中には、一滴(ひとしずく)、この本の養分が流れているのだと思います。

夏のおたのしみ桃サンド 

食の時間をことに大切に暮らす陶芸作家の松塚裕子さん。
桃の季節ならではの記事をお寄せくださいました。
読み終わったら、すぐに桃を買いにいきたくなりますよ、きっと。

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今年も大好きな桃の季節がやってきた。
箱を開けると、ふわふわと光る産毛につつまれた美しい色の桃がごろごろ。
小さな生き物を愛でるようにそっと手の平にのせて、
しばしその手ざわりや重みを楽しむ。
追熟を待つあいだに、部屋の中にひろがる香りまで甘くおいしい。

果物はまるかじりが一番!という家だったので、
夏の朝には洗っただけの桃がそのままごろんとお皿にのってでてきた。
実をきずつけないよう、淡い色した薄紙をはがすように慎重に皮をむいて、
クリーム色の果実をがぶり。
起きたての、額にぺっとりと張り付く髪もそのままに、
あふれる果汁で手をべたべたにしながら無心で食べる桃の美味しかったこと!
物心ついてから、よそのお宅で美しいくし形に切りそろえられた桃が出てきたときは、
「桃ってこうやって食べるんだあ」と心底おどろいた。
桃サンドのことを知ったのは、
どこかで読んだ川上弘美さんの短編小説だったと思う。
そこに出てくるのは、切った桃を食パンにはさむだけのシンプルなものだった。
桃のみずみずしさをパンで受け止めるようにして食べる場面がずっと心に残って消えなかった。

さまざまな記憶の中の桃の姿を追いかけながら、
この夏何度もくりかえし作った桃サンド。
まるかじりを存分に楽しんだのち、
夏の昼下がりにしっとりと冷やして、ぜひ召し上がってみてください。

材料 
桃 1個
サンドイッチ用の薄い食パン(おすすめは10枚切りのもの) 4枚
生クリーム(乳脂肪分が40以上のもの) 150ml
砂糖 大さじ2~お好みで
水切りヨーグルト 大さじ3~お好みで
※ヨーグルト200mlをコーヒーのフィルターに入れて一晩ほど水切りしておく
レモン果汁 大さじ1

1・桃の皮を丁寧にむいて、くし形に切り分ける。変色しないようにレモン汁を振りかけておく。

2・生クリームに砂糖を加え、氷水にあてながらとろんとするまで泡立てる。

3・2に水切りヨーグルトを加えて、パンに塗れる固さになるまでさらに混ぜる。
  加えるヨーグルトを増やすと、よりさっぱりめに仕上がります。好みに合わせて加減してください。

4・パン4枚全てに、クリームをこんもり塗る。真ん中にむかって少し多めにのせるとよいです。パン2枚分に、くし形にした桃をのせてクリームを塗っておいたパンでサンドする。上からむぎゅっと全体をやさしく押して、パン、桃、クリームを密着させる。

5・4をそれぞれラップでぴっちりとくるみ、冷蔵庫へ。1~2時間ほどねかせて、全体をなじませてしっとりさせる。

6・耳を切り落として、お好みの形に切る。

できあがり。桃はぜひ、完熟のやわらかい甘いものを!

Text,Recipe & Photo | 松塚裕子

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松塚さんの器に盛った桃サンド。
なんともおいしそうですねーー。

松塚さんからは少し前にご寄稿をいただきながら、
すぐにアップできずにすみません!!でした。
桃もピークが過ぎてしまいそうです。
ぜひ、どうぞ、お早目に。
新たな記憶の頁、おいしく綴ってみてくださいね。

松塚裕子さんのHPはこちらになります。
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鴨川産夏蜜柑のケーク

さわやかな初夏に、とっておきのデザートレシピをひとつ。
ご紹介いただくのは金工作家 Anima uni の長野麻紀子さん。
作品の世界観に通じる透明感のあるお写真とあわせてご覧ください。

夏蜜柑の爽やかな香りをたのしむケーク。
マーマレードを使うことで、しっとりふわふわの触感に仕上がります。

〈材料〉直径15.5cmの丸型 1台分
○生地
卵黄 3個
無塩バター 70g
砂糖 30g
夏蜜柑マーマレード 大匙3
夏蜜柑の皮のすりおろし 1/2個分
柑橘類のピール 数枚
夏蜜柑果汁 小匙1
レモン果汁 小匙1
アーモンドプードル 40g
薄力粉 70g

| 卵白 3個分
| 砂糖 30g (卵白用)

○アイシング
粉糖 70g
夏蜜柑果汁 適量

○飾り
柑橘類のピール 数枚
あればミントの葉っぱ

<作り方の手順>

型にオーブンシートを敷く、もしくはバター(分量外)を塗って薄く薄力粉をはたいておく。
柑橘ピールは細かな微塵切りにして夏蜜柑果汁でふやかしておく。
バターは湯煎もしくはレンジで温め溶かしておく。
オーブンを180℃で予熱する。


ボウルに卵黄を割りほぐし砂糖を加えながら泡立て器でよくすり混ぜる。
溶かしバターを分離しないよう少しずつ加え、ふわっとするまでよく混ぜる。


マーマレード、夏蜜柑の皮のすりおろし、柑橘ピール、残りの果汁を加え、さらに混ぜる。


別ボウルに卵白を泡立てる。
途中、砂糖を3回に分けて少しずつ加えつつ、角がピンと立つまで泡立てる。


手順③にアーモンドプードルと薄力粉をふるい入れ、ヘラでさっくりと混ぜる。
混ぜきらずとも粉が多少残るくらいに。


手順⑤に泡立てた卵白を3回に分けて加え、ボウルの底からヘラでさっくり混ぜる。
卵白ができるだけ潰れないように混ぜるのがふわっと焼きあげるこつ。


型に流し入れ180℃のオーブンで50分焼く。
表面がキツネ色になったら(オーブンにもよりますが25分くらい)、
焦げすぎないよう型に合わせたアルミホイルの蓋をふわっと乗せてさらに焼く。
竹串を刺してみてなにも付いてこなければOK。


アイシングを作る。
粉糖に夏蜜柑果汁を適量加えてスプーンでなめらかになるまでよく混ぜる。
やや固めが望ましいでしょう。
飾り用の柑橘ピールは斜め薄切りに。


焼きあがったら冷めきる前に生地を型から取り出し、
粗熱が取れたらアイシングをかけて柑橘ピールを飾る。
あればミントの葉を彩りに添える。

夏蜜柑はぜひとも無農薬のものを。
手に入らない場合は、丸ごと粗塩でごしごし洗って皮に付いたワックスを落としてから使います。
柑橘類のピールは夏蜜柑が手に入れば最高だけれど、レモン、オレンジ等なんでもOK。
柚は香りが強いため、そのほかの柑橘がおすすめです。

Recipe & Photo | Anima uni 長野麻紀子

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こちらの「鴨川夏蜜柑のケーク」の夏蜜柑は、店主稲垣早苗が鴨川で採取したものです。
ヒナタノオトで5月に開催した「Anima uni あめつち」展の会期中に、
長野さんが美味しいケークにしてくださいました。

大野七実さんのスクエアプレートに盛り付け、紅茶とともに。
安齋新さん、厚子さんのカップ&ソーサーはヒナタノオトでご案内しています。
しっとりとした白味の色調が美しく、丁寧な手仕事による和やかで品のよい器です。
大野七実さんのスクエアプレートは現在欠品中ですが、
丸皿、オーバル皿はございます。

スクエアプレート 大野七実
コーヒーカップ&ソーサー 安齋新 厚子

cups

娘が幼い時に読んだ絵本、
『おやすみなさいのほん』は、夜になると皆、
「自分の場所」で眠りにつくというおはなしだが、
その中にこんな箇所があった。

じどうしゃや とらっくや
ひこうきも
おうちに はいります
じどうしゃの おうちは がれーじです
ひこうきの おうちは かくのうこです
どの えんじんも とまります

しずかな えんじん

とりたち、さかなたち、けものたち、
と紹介された後に現れるこのページは、
生命あるものも、そうでないものも皆ひとしく
「それぞれの場所で眠りにつく」という発想が、
とても新鮮に思えたものだった。

たまにしか使わない器も、毎日使うご飯茶椀も、
私の家では食器棚の中に、ちゃんと場所を持っているが、
家族3人それぞれの専用カップは、その扉の中にしまわれることがない。

シンクの前に立った時にすぐに目に入る、出窓前の簡易棚
(ザルを置いたり、洗ったビンを乾かしたり‥)に
いつでも、置かれたままになっている。
「はたらきもの」という言い方もできるし、
私たちがズボラな性格だからという見方もあるが、
一番の理由は、手にとる機会が多いいので、
使い終わるたびに、いちいちしまっていられないということだ。

私の愛用のカップは、小ぶりの粉引の陶器、中本理詠さん作。
夫のはたっぷりサイズで、しのぎ模様がはいった、加藤仁志さん作。
娘は淡い黄色ですっきりしたフォルム、萩原千春さん作、を使っている。

朝起きて、まず私は白湯を飲む。
今の季節なら、そのあとに、梅シロップを3つのカップに注ぎいれ、
水割りを作っておく。
起きてきた家族がそれを飲む
(レモネードの時もあるし、寒い時期なら、
柚子や金柑ハチミツのお湯割りになることも)。

朝食の時には、緑茶を飲み、
夫と2人の昼食の後には、コーヒーをそれぞれのカップで。

お風呂の後や、眠る前には水を飲む。
私のカップは小さいので、何杯も水を飲む。
夫のカップには豆乳が入っていることもあるし、
娘のカップは(20歳過ぎた今でも)麦茶か牛乳が定番だ。

愛用のカップを前にして、カップにとって、
大切なことはなんだろうと考えてみる。

飲みものがこぼれないということ。
重すぎないということ。
壊れにくいということ。
口あたりがよいということ。
見た目の好ましさも、愛らしさもきっと大事な要素になる。

3つのカップは、作者も、
私たちひとりひとりの手元に来た経緯も違うけれど、
共通しているのは機能面の確かさはもとより、
「手にとってみたい」ものであるということだろう。

私たちは目に見えないもの‥気持ちや記憶など‥
に直接さわることができない。
だから、目に見え、触れることができる「何か」に託し、
そのものを慈しむ。
それは一緒に読んだ本だったり、気にいっているシャツだったり、
愛用の鞄だったり、指輪だったり、もちろんカップだったり。
嬉しい気持ちも、忘れたくない想い出も、
自分の手で直接握りしめることはできないけれど、
カップを包み、満たされたカップを通して、
熱さや冷たさを感じ取ることはできる。

たとえば朝。
飲みたいもの、体が欲しいと感じているものの中に、
一日の穏やかさを願う気持ちが、入ってはいないだろうか。

たとえば夕暮れ。
いつでも心を温めてくれる想い出が、
風の匂いとともに、カップの中でゆらゆらと動いてはいないだろうか。

そうして、私たちは、目に見えないそんな想いを、
ゆっくりと体の中に入れていく。

夜中に目覚め、薄暗がりの中で、冷たい水を喉へおくる。
見えないけれど、確かにあるもの。眠らない、私のカップ。

*『おやすみなさいのほん』マーガレット・ワイズブラウン 文
ジャン・シャロー 絵   いしい ももこ 訳

文 水谷英与
写真 水谷芳也

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『私たちは目に見えないもの‥気持ちや記憶など‥
に直接さわることができない。
だから、目に見え、触れることができる「何か」に託し、
そのものを慈しむ』

触れられるもの、触れることができないもの。
「何か」が、誰かの「手の仕事」であること、
もあるということ。

『嬉しい気持ちも、忘れたくない想い出も、
自分の手で直接握りしめることはできないけれど、
カップを包み、満たされたカップを通して、
熱さや冷たさを感じ取ることはできる』

読みながら、じんわり切ない気持ちになってきたのは、
私だけでしょうか。
カップを包む、というささやかな所作にも、
広く深い想いが広がっていくのですね。

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ご寄稿くださった水谷英与さん、ありがとうございます。
水谷さんは、ご夫婦でオリジナルのTシャツを制作販売されています。
クールなイラストがシルクスクリーンで一点ずつ刷られています。
ヒナタノオトスタッフやそのつれあいも愛用中。
10周年記念の新柄も出たようですので、ぜひご覧ください。
→ BOOTS&STICKS
(ブログの超こだわり記事や、ランチの記録などが、超絶おもしろいです!)

「よろこびのいろ」大野七実

初めて出会ったとき、大野七実さんは美大生でした。
卒業後は陶芸のアトリエで働きながら自らの制作に励み、
ときどき私が携わっていたギャラリーの展示替えを手伝ってくれました。

お皿やカップなどの食器をメインに制作していましたが、
あるとき、円形の愛らしいふたものを作って、
ギャラリーに持ってきてくれたのです。

わ!ボンホルム島の円形教会にそっくり!!
七実さんにそう伝えましたが、何のことだろう?
とピンとこない表情で私の話を聞いてくれました。

私が学校に通ったデンマークの島に建つ印象的な円形教会。
見ることなく、その佇まいを姿にしたひとと、
20年ほどの時を経て、共にその教会へと向かう旅に出たのでした。

 イナガキサナエ

「よろこびのいろ 」
大野七実(陶芸作家)

普段のわたしなら、きっとすぐに返事はしなかったでしょう。
「行きたい」
早苗さんのお誘いにそうこたえた自分に、いちばん驚いたのはわたし自身でした。
そうして3人の旅は、引き寄せられ、自然の流れのようにはじまったのです。

早苗さんが何度も訪れているデンマーク。
ずっと昔に教会のことを話してくださったその時から、
そこは遠くにぼんやりと存在する憧れの場所でした。
その地についたとき、自分がそこにいることがしばらく不思議で信じられないままでした。

風も空気も色もぜんぶが爽やかで、人々の笑顔や揺れる木々の緑がいちばん美しく輝く季節。
夜になっても日が暮れないこの夏至の時期。
見るものすべてが新鮮で活き活きと色鮮やかにこの眼に飛び込んできました。

冬のデンマークをわたしは知りません。
長く長く続く静かな夜。
きっとそんな冬があるからこそ、
北欧の人たちはいまのこの輝く季節をより大切に過ごしているんだろうと思うのです。
この旅で出会った人たちみんなに通ずることは、
それぞれが自身の暮らしを楽しみ、喜び、慈しみ、それぞれの今を明るく生きている。
もしかしたらその根源は、
ひかりの向こう側にある対なもののちからから湧き出ているのかもしれません。

鳥のさえずりもまた、幸せの音符が並び、
歌うように軽やかに、心地よいリズムを奏でていました。
それがなんとも楽しげで鳥ばかり探しては見ていたように思います。

日本に帰ってきて驚いたことは、
鳴いてるっ!
朝日が昇るころ、おはようと挨拶しているかのように。
今まで聴こえなかったのか、聴こうとしていなかったのか、
自然と耳に届く鳥たちの声。
じぶんの中で何かが動いた証でしょうか?
無意識の目覚めは、見慣れた景色を喜びの色に変えてくれたのです。

笑いっぱなしの旅の友、
のまちゃんの笑顔はこの旅の太陽みたいに終始私たちを照らしてくれていました。
最終日、そののまちゃんの抱える想いの影の部分が、
3人の会話の最中にすーっと空へと飛んでいった瞬間。
その清々しくうつくしい彼女の顔をわたしはずっと忘れません。
そこへ導いた早苗さんの言葉とともに。

今回の旅のこころ強い案内人、早苗さんが幾年もかけて結んできた人々との繋がり。
ただの観光旅行では感じることのできないことばかり。
その大切な時間の一片にふれさせていただけたとが、この旅いちばんの宝ものです。
人と人とをつなぐこと。
わたしが若いころに巡り会ったその人はずうっとそうして、ひとを見て繋いできた人。

自分のつくったうつわもまた、わたしと誰かを繋いでくれる。
自分のつくったものが誰かの喜びに変わるとき、わたしの重ねてきた時間が満たされる。
このデンマークの旅で感じたものが時を経て、
うつわの奥に気配となって潜んでいくことが今から楽しみでなりません…

なんども眺めていたヒナタノオトに貼ってあるボンホルム島の地図。
きょう見てはっきりと思ったことがあります。
遠い異国の地はいま、わたしが歩いた場所に変わり、
実感として、しっかりとこころに刻まれている。

そのことを素直に喜べるじぶんが、そこにいました。

text and photo   大野 七実

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デンマーク、ボンホルム島には4つの円形教会が建っています。
七実さんが撮影したのはバスから見えたNykerの教会です。
私も車中から撮ってみました。

20年以上も前、その存在も知らずに作った七実さんのふた物を彷彿させる佇まい。
教会を見つけたときの車内での七実さんの表情、
生き別れていた同胞に出会ったような、不思議そうな、なつかしそうな、
愛おし気な表情が、とても印象的でした。

今回、3人で実際に訪ねてみたのは、
4つの円形教会の中でもっとも大きなØsterlars(エスターラス)教会。
入り口で七実さんと記念写真を撮ってみました。

デンマークへと七実さんを誘ってくれたかのような円形教会。
この旅は、まだきっと始まったばかり。
これからデンマークを通じて、七実さんはどんな出会いを果たしていくのでしょうか。

〇4つの円形教会、ぜひ見ていただきたくて画像を探してみました。
今も地域の方々に大切にされている、それぞれに愛らしい姿です。

→ click

七実さん、nomamaさんとの旅の扉の続きは、
ボンホルム島にある美術館での展示のお話しなども。
その前に、ユトランド半島北部にあるISAGERさんの工房のお話しもありますので、
ゆるりとなりますが、進めますね。

イナガキサナエ

「初めての北欧」 佐藤暁子(nomama)

2017年夏の北欧行。

いつもは一人訪ねる北欧へ、今回はふたりの同行者が現れました。
陶芸作家の大野七実さんと織作家nomamaさんこと、スタッフの佐藤暁子。
ボンホルム島にある美術館での日本作家展への出品という目的も持ちつつ、
ちょうど背格好も同じくらいの愛らしい双子ちゃんのようなふたりと一緒の北欧は、
エルダーフラワーとバラが満開の初夏のベストシーズンと重なって、
新鮮な喜びに満ちた旅となりました。

イナガキの今回の渡航記を前に、nomamaさんからのお便りをお届けします。
(七実さんからも届くかな?nomamaさん第二弾もあるかな??)

イナガキサナエ

+++

数年前、ヒナタノオトの窓辺カフェでひとり、
コーヒーとケーキを楽しみながら、
穏やかな時間、少しのおしゃべりとボーっとできる空間の温かさに
なんとも言えない心地良さを感じました。
このひと時がデンマークの人たちの大切なヒュッゲという事を
この後、稲垣さんの本「北欧の和み」で知ったのです。

そこから私のヒナタノオト通いとデンマークへの憧れが始まりました。

そして気がついたらヒナタノオトのカウンターの中に入り、デンマークに来ている…

人生はなんて不思議で素敵なのでしょう。

何かの度に「デンマークに行きたい!!」と言っていた事が実際に叶った今回の旅は
言葉にするのは大切だな…と感じる旅でもありました。

旅の仲間は陶芸家の大野七実さん。
そして勿論、稲垣さん。
デンマーク、ボンホルム島での「Contemporary Japanese Crafts」と言う展覧会への出展を目的としつつ、
憧れのデンマークを体感する1週間です。

満開のエルダーフラワーとバラの香り、
鳥たちの歌声にあふれた6月のデンマークは
陽の光が長く輝く季節。

祝福されているようで、毎日がキラキラと輝きに満ちていました。

ただ良い季節に来たからではなく、
ただ旅先での開放感からではなく、
この国には心を自由に豊かにする何かがある。
それは何なのか….

答えは何百年も暮らし継がれた彩り豊かな家や
そこに暮らす人たちから教えてもらいました。

自然に対しても、家に対しても
「住まわせてもらっている」と言う人間主体じゃない暮らし。
自然と共に、時間や空間を大切に….
そこから自由な生き方、生きる喜びを大切にする暮らしが成り立っているんだな….と。

そして、なんと言っても人生の先輩達のチャーミングさと言ったら!!
チャーミング先輩だらけなのです。
いくつになっても生きる事に喜びと希望を持てる人生。
それがデンマークなのだと感じました。

デンマークに通い続けている稲垣さん。
通い続けた人に連れて来てもらった旅。
良いとこ取りの旅だから気付けた事かも知れません。

旅で感じたデンマーク、旅で語った言葉のひとつひとつを
そのまま日本に持ち帰りました。
ヒナタノオトのヒュッゲに、
制作のワクワクに、
チャーミングな生き方に、
すべてに素直に表れる事を願って。

スタッフ 佐藤暁子(織り作家nomama)

+++

チャーミング先輩!とは、nomamaさん言葉ならではのデンマークの人々の印象。
いくつになっても、年齢のせいで想いをあきらめないのが、
出会ったデンマークの人たちのすばらしさでした。
やってみたいこと、いってみたいところ、、、、。
あとさき、ではなく、今。
今を精一杯味わって生きる。
そんな姿に惹かれて渡航を重ねてきましたが、
nomamaさんは、それを見事に一回で感じ取られたのですね。
ところでnomamaさん、フィルムカメラで撮影していました。
上の画像、デジタルとは趣がちがいますね。
どこかノスタルジックな感じというか。
私は個人的に最後の写真がうれしかったです。
いつもひとりなので、自分の写真がなかったので。
扉や窓や壁、、、そう家や家並みの写真ばかり。
その中に自分は本当にいたんだー、と、
愛してやまない風景の中にいる自分と再会できたことも、
よき同行者を得た喜びでした。

イナガキサナエ

庭のほとり

5月の半ば、ずっと携ってきた庭とギャラリーで
大野八生さんの展覧会を開きました。
「庭とアトリエ」。

ガーデナーであり、イラストレーターでもある
大野八生さんの両方のお仕事を見ていただける機会になりました。

庭、ほんとうにきれいでした。

何も言わず

ただ、輝いて

伸びていく

:::

光の中で、草花とただ共にあると、
もう、それだけでいいじゃない、
今、ここにいるだけでものすごい幸せ。
そんな平らかな気持ちに満たされるのでした。

:::

八生さんの絵に囲まれた空間に何日もいると、
ああ、このひとは本当に草花とともにいる人なんだなぁ、
としみじみ思う。
草花とそれにまつわる、虫や動物。
写実的ではないから「事実」ではないけれど、
描き手にとっての「真実」の姿。
その真実が愛おしくって、絵の世界に入りこむ。

:::

日々、たくさんの作り手の方々と接する幸せな中で、
珍しくびっくりするような残念なことがあった。
やりとりを重ねるほどに、がっかりするような単語
(言葉といいたくないなぁ)がもれなく付いてくる。
善悪や是非を超えて、底辺に、前提に、
愛がないなぁ、ということに心がしぼむことが続いた。
そんな日々を経て、「庭とアトリエ」展。
「愛があるなぁ」としみじみ。
と同時に、ある?ない?なのかな、愛って。
そんなことも思った。
愛があるなぁ、というのは、佳きことを信じているなぁ、
ということなのかもしれない。
八生さんやその絵、この場に集う方々と過ごす時間の中で、
そう気づく。
心を疑ったりしない、顔色を窺ったりしない。
起点が信じているところから始まっている。
間違ったり、困ったことが起こっても、
信じているところに軸足があるから、不愉快にはならない。
愛がないなぁ、と感じた諸々のことは、
佳きことを信じていないなぁ、ということだったのかもしれない。
:::

今年も藍の生葉染めをたくさんの人と楽しめることでしょう。

大豆も蒔いてみたのです。

芽っていいですね。
自らの殻を破り、土を割って、太陽に向かって伸びていく。

植物がそれぞれの速度で生長している空間、
その傍らで、人が佳きことを空気のように信じながら成長して、
その営みを感じ合うために集う。
ああ、こんなことがしたかった。
こんな場所が作りたかったんだ。
地球の、宇宙の、ちっぽけな点のような場所だけれど、
確かに愛がある時空。
佳きことを信じている時空。
これからも、そんな点を点しながら続けていこう。
(点(テン)と点(とも)すって同じ字なんだね)

機会をつくる、土壌をつくる

工藝を通して、人のよき営みの場づくりをする。
作る人、使う人。
それぞれが関わり合って心豊かに今を生き、これからの今に光を抱けるように。

仕事は土づくり。
土壌を作ること。
工藝を介した営みが、有機的に育まれる場、機会を創ること。
作り手が世に出る土壌として「工房からの風」の企画運営。
世に出たあとの進化成長の土壌として百貨店催事などの企画運営。
書籍や小冊子、webでの文章を通しての発信。
日々集える場として都心でのギャラリー・ショップ(ヒナタノオト)の運営。
工藝、暮らしに生きるものづくり。
それらが育まれていくための一滴となれるように。
そう希って場づくりを進めていきたいのです。

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ああ、すっきりしました!
今まであちらこちらにぶつかりながら考え、進んできたこと。
ようやく進べき航路が鮮やかに見えてきたのです。
昨年のメセナ大賞から、今回の伊勢丹展を通して。
工房からの風は、これから世に出ていく作家のための豊かな土壌に。
百貨店催事は、世に出たあとの作家がよりよい仕事へ進み、継続させていくための土壌に。
これらハレの機会のほかに、
ケ(日常)の場、基地のような場として、都心にヒナタノオトを。
私自身が「もの」を示すのではなく、
ひとつひとつ咲くべき花、生すべき果実にとってのよき土壌を育むこと。
工藝やものづくりにおける「派」!?や考え、感性の傾向にとらわれず、
ひとつひとつの草木の可能性を引き出せるように励むこと。
でもね、もちろん、何でもあり、ということではありません。
そう、ここでも庭、をたとえにしてみましょう。
創りたいのは、今、美しいと思う草花ばかりを集めた単一な庭ではないのです。
今、美しいと感じる草花に心寄せ、庭の中で響かせながら、
これから芽吹き、生長していくものの余白をもった庭。
といったらよいでしょうか。
その折々にどう映るか、奏でられるか。
その美しさ、ハーモニーには、もちろん私の目と力が問われることと思います。
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今回、お客様や百貨店の方々からおっっしゃっていただきました。
この催事の空間、とってもよいと。
お客様と作家が豊かに言葉を交わし、目当てのものだけをゲットするのではなく、
ぐるぐると時間をかけて作品巡りをしてくださる様子が。
これって「工房からの風」、そのものです。
あの野外ならではの和やかさが、賑わいの百貨店の中で再現されている。
そして、共通なのは、その場の方々の表情、笑顔。
入手することだけが目的ではなく、真剣に作られたものを介しての交流が生まれていること。
そのことが放つよきエネルギーが、きっとあの独特な雰囲気を生み出しているんですね。
賑やかだけれど、和やか。
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けれど、企画者としては、今展ではまだまだ、だと思っています。
作家のモチベーションにばらつきがありましたから。
今展のために命を削るかのごとく制作に励んだ作家もいれば、
通常の流れで参加くださった方もいます。
それは、企画者の私の力不足ですね。
よく自覚しています。
でも、そういうんじゃだめだよね。
もったいない、ってはっきりわかってしまった。
なので、次回(おそらく来年の春に同会場)には、
すべての出展者ともっともっとやりとりをして、
進化した仕事を全員に見せてもらおうと思っています。
伊勢丹での「『工房からの風』から」展は、そういう機会、土壌として存在するように。
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このブログは2年も前から作っていながら、なかなかアップできなかったのでした。
でも、今日がちょうどよい日和となりました。
お知らせではない、私の心の庭での種や芽、花や果実の移ろい。
ときどき記していきますね。

心の庭

こんにちは、稲垣早苗です。
ブログを個人で始めたのは2004年12月1日のことでした。
デンマークで撮りためた写真を整理しよう!
そう思い立って始めたhinataというハンドルネームでのブログ。
これがネットを通じた人の輪の始まりでした。

その後、ニッケのお庭のこと、
「galleryらふと」のこと、
「工房からの風」のことを綴っていくうちに、
「手しごとを結ぶ庭」を出版する機会に恵まれ、
「ヒナタノオト」を日本橋にオープンすることにもなりました。
ブログを通じて自分の心の姿が整えられていったり、
ブログを介して豊かな人との出会いを重ねられたり。
ブログにはたくさんの恵みをいただいてきたように思います。
今も「ヒナタノオト」と「工房からの風」のブログを綴っています。
けれど、訪ねてくださる方が増えるほどに、
それぞれの場以外のことを、いつしか書かなくなってしまいました。
なんだか場違いなような気がして。
「ヒナタノオト」や「工房からの風」の情報を求めてくださる方へ、
私個人の心の動きを伝えるなんて、ヘンだよねーと思えてきたのです。
そのうちfacebookやインスタグラムも始めましたが、
その楽しさ?と私にとってのブログが果たしてくれていたことは、
何か違うんだなぁ、とようやくわかってきたのかもしれません。

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庭がたくさんのことを教えてくれました。
一木一草、その姿からは自然のことわりを。
添える想いと手の営みからは、
見ること、感じること、考えることの大切さを。
ひとつひとつの個が熟していながら、
和してひとつの空間を生み出す庭というものの在り様が、
今の自分の仕事、そして生きていく姿の骨格となっています。
とはいえ、まだまだまだ、、のへなちょこな骨格。
鍛えがいはあり過ぎなのですが。

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心の庭を耕したい。
心の庭を丹精する人と出会い、響きあい、
そのささやかな庭を楽園へと育みたい。
そんな想いを持っています。
ほかほかな土に、豊かな緑や花々、虫や小鳥が行き交うような庭を希って。