手しごとの庭

新年あけましておめでとうございます。

2018年、まっさらな時間を目の前にすると、
まっさらな気持ちが満ちてきます。
正月という節は、美しい余白を与えてくれるんですね。

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昨年は、作り手の方々から新たな展開をうかがうことが多くありました。
土地や家を手に入れることになったひとたち。
工房や自らの作品を展示する空間を創りだしたひとたち。
おめでとう!おめでとう!!
そのような話をお聞きするたび、うれしくって仕方ありません。
皆さん、それぞれにお仕事が充実してきた証ですね。
次の地平に漕ぎ出して、いっそうご自身の想い描いてきた制作、
人生に邁進されることでしょう。

出産や、お子さんの進学などの成長の節目のお話を伺うことも多くありました。
待望の第一子や、二人目の子の父や母となったひとたち。
手のかかる幼子が、高校や大学に進学する眩しい青年の親となったこと。
おめでとう!おめでとう!!
その姿に触れるたび、うれしくって仕方ありません。
子どもの成長は、そのまま親の成長でもあるんですね。
育児と共にあった時間の中で、濃密に、精一杯、制作に励んだ実りは、
子どもから少しずつ手の離れていく時間の中で、
一層密度を増して、輝き出すことでしょう。

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元日という余白の時の中で、久しぶりに自著を開いてみました。
「手しごとを結ぶ庭」
2006年11月発行。
ヒナタノオトは2006年12月1日にオープンですから、
初めての出版と、初めての自らの店舗の開店が同時進行でした。
その渦中にいるときは意識していませんでしたけれど、
大きな波のような時間だったのだと思います。

「・・・
けれど、機は熟した。
今、ここに、私なりの小さな実を結んだ。
それを実感することも大切な仕事なのだ。
このままここに留まっていたら、いつのまにかに腐ってしぼんでしまう。
実ったささやかなものをこそ弾かせることこそ、
次の花や新しい果実につなげていくこと。
そう気持ちが固まっていった。」

長く勤めた会社から出て、自らの店舗をひらくときに綴った文章。
11年が経って、新鮮な想いで再会しました。

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「・・・
私が夢想するのは、花壇あるいは畑や庭。
もっと言えば土。作家や作品と根っこから関わっていきたいと思うのだ。
作家や作品を集めるというより、それらが生長していくような場。
作品が生えてきたり、実ってきたりするように感じられる、
ほかほかの土のようなショップ。
そんな場所を創っていけないだろうか。」

あらためて出会ったこの文章には、
今も変わらない仕事への想いの原点が綴られています。
この想いを胸に抱えて浜町のビルの二階で
ヒナタノオトを開いたのでした。
この根っこの想いが、現実のさまざまな大波小波の中でも、
行く方を見失わせずに、こうして仕事を続けさせてくれました。

それでも、あらためて思い返すと、
日々の中でかたまってしまっている「土」や、
耕せていない「土」もあるなぁという気づきます。
できてきたこと、まだできていないこと。
まだ花や果実を見れていないけれど、
これからの時間の中で、ぜひ咲かせたい花、
実らせたい果実があることに希望が湧いてきます。
そのために、「土」をふかふかとさせたいと。

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一昨年、昨年といただいた実り。
それらを次に弾いていくための力に出来ればと思います。
新たな気持ちで、ふかふかな土、場をつくっていきたい。
元日、そのことを深く思いました。

成長、進化しながら制作の、人生の時を熟していく作家たち。
出会えたそれらの人たちから佳き刺激をもらい、響きあいながら、
私の庭作り、人生の時を熟していこうと思います。
そんな場を「手しごとの庭」と心の中でなづけて、
その構想をたずさえて、新たなフェーズに入っていこうと思います。

一滴(ひとしずく)

建築家は どんな家をつくるか いろいろ考えて 設計します
作曲家ににています
建築家は その家ができあがるまで 工事のかんとくをします
オーケストラの指揮者ににています

「ル・コルビュジェ 建築家の仕事」
現代企画社
作 フランシーヌ・ブッシェ ミッシェル・コーアン
絵 ミッシェル・ラビ
訳 小野塚昭三郎

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「工房からの風」が終わって一息ついたころ、
私の誕生日が巡ってきます。

野外展の日、会場である庭で、
友から少し早いプレゼントを受け取るようになって10年になるでしょうか。

今年の贈り物が、この絵本でした。

コンクリートのような質感と色合いのボール紙の暑い表紙。
鮮やかな色のコントラストも、紙の風合いの中でシックに感じられます。

「工房からの風」のディレクターは、
作曲家よりオーケストラの指揮者ににています。

添えられたバースデーカードには、こう綴られてありました。

タクトではなく、今年は雨対策でスコップ持っていた私だけれど、
学生時代からの友人がそのように感じて、伝えてくれたことが、
何よりの贈り物になりました。

この本は刷りたてほやほやだそうで、代官山猿楽祭のイベントで、
末盛千枝子さんの講演会で見つけてくれたとのこと。
サインも添えられてありました。

末盛さんといえば、末盛千枝子ブックス。
ヒナタノオトでもご紹介していました。
(現在はすえもりブックスを閉じられて、新たな活動をされています。)
詳しくはこちら → click

この本を手にしたのも、「工房からの風」の日。
手仕事の庭の中で、この友の手からでした。
そう、この庭で初めて受け取った友からの贈り物が
「ゴールディーのお人形」(M.B.ゴフスタイン)だったのでした。

この本との出会いを書いた昔のブログを久しぶりに探し出してみました。
2007年10月。
ちょうど10年前だったんですね。
→ click

昔の記事を読むのはどこか恥ずかしくもありますが、
当時の新鮮な想いが綴られています。
変わらない想い、進化した想い。

本。
それは読んだときに気づいたり、感動したり、新鮮な想いに包まれるけれど、
そのストーリはいつしか自分の時間、人生と撚りあって、
自分のストーリーに織り上がっていく。
今の私の中には、一滴(ひとしずく)、この本の養分が流れているのだと思います。

庭のほとり

5月の半ば、ずっと携ってきた庭とギャラリーで
大野八生さんの展覧会を開きました。
「庭とアトリエ」。

ガーデナーであり、イラストレーターでもある
大野八生さんの両方のお仕事を見ていただける機会になりました。

庭、ほんとうにきれいでした。

何も言わず

ただ、輝いて

伸びていく

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光の中で、草花とただ共にあると、
もう、それだけでいいじゃない、
今、ここにいるだけでものすごい幸せ。
そんな平らかな気持ちに満たされるのでした。

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八生さんの絵に囲まれた空間に何日もいると、
ああ、このひとは本当に草花とともにいる人なんだなぁ、
としみじみ思う。
草花とそれにまつわる、虫や動物。
写実的ではないから「事実」ではないけれど、
描き手にとっての「真実」の姿。
その真実が愛おしくって、絵の世界に入りこむ。

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日々、たくさんの作り手の方々と接する幸せな中で、
珍しくびっくりするような残念なことがあった。
やりとりを重ねるほどに、がっかりするような単語
(言葉といいたくないなぁ)がもれなく付いてくる。
善悪や是非を超えて、底辺に、前提に、
愛がないなぁ、ということに心がしぼむことが続いた。
そんな日々を経て、「庭とアトリエ」展。
「愛があるなぁ」としみじみ。
と同時に、ある?ない?なのかな、愛って。
そんなことも思った。
愛があるなぁ、というのは、佳きことを信じているなぁ、
ということなのかもしれない。
八生さんやその絵、この場に集う方々と過ごす時間の中で、
そう気づく。
心を疑ったりしない、顔色を窺ったりしない。
起点が信じているところから始まっている。
間違ったり、困ったことが起こっても、
信じているところに軸足があるから、不愉快にはならない。
愛がないなぁ、と感じた諸々のことは、
佳きことを信じていないなぁ、ということだったのかもしれない。
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今年も藍の生葉染めをたくさんの人と楽しめることでしょう。

大豆も蒔いてみたのです。

芽っていいですね。
自らの殻を破り、土を割って、太陽に向かって伸びていく。

植物がそれぞれの速度で生長している空間、
その傍らで、人が佳きことを空気のように信じながら成長して、
その営みを感じ合うために集う。
ああ、こんなことがしたかった。
こんな場所が作りたかったんだ。
地球の、宇宙の、ちっぽけな点のような場所だけれど、
確かに愛がある時空。
佳きことを信じている時空。
これからも、そんな点を点しながら続けていこう。
(点(テン)と点(とも)すって同じ字なんだね)

機会をつくる、土壌をつくる

工藝を通して、人のよき営みの場づくりをする。
作る人、使う人。
それぞれが関わり合って心豊かに今を生き、これからの今に光を抱けるように。

仕事は土づくり。
土壌を作ること。
工藝を介した営みが、有機的に育まれる場、機会を創ること。
作り手が世に出る土壌として「工房からの風」の企画運営。
世に出たあとの進化成長の土壌として百貨店催事などの企画運営。
書籍や小冊子、webでの文章を通しての発信。
日々集える場として都心でのギャラリー・ショップ(ヒナタノオト)の運営。
工藝、暮らしに生きるものづくり。
それらが育まれていくための一滴となれるように。
そう希って場づくりを進めていきたいのです。

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ああ、すっきりしました!
今まであちらこちらにぶつかりながら考え、進んできたこと。
ようやく進べき航路が鮮やかに見えてきたのです。
昨年のメセナ大賞から、今回の伊勢丹展を通して。
工房からの風は、これから世に出ていく作家のための豊かな土壌に。
百貨店催事は、世に出たあとの作家がよりよい仕事へ進み、継続させていくための土壌に。
これらハレの機会のほかに、
ケ(日常)の場、基地のような場として、都心にヒナタノオトを。
私自身が「もの」を示すのではなく、
ひとつひとつ咲くべき花、生すべき果実にとってのよき土壌を育むこと。
工藝やものづくりにおける「派」!?や考え、感性の傾向にとらわれず、
ひとつひとつの草木の可能性を引き出せるように励むこと。
でもね、もちろん、何でもあり、ということではありません。
そう、ここでも庭、をたとえにしてみましょう。
創りたいのは、今、美しいと思う草花ばかりを集めた単一な庭ではないのです。
今、美しいと感じる草花に心寄せ、庭の中で響かせながら、
これから芽吹き、生長していくものの余白をもった庭。
といったらよいでしょうか。
その折々にどう映るか、奏でられるか。
その美しさ、ハーモニーには、もちろん私の目と力が問われることと思います。
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今回、お客様や百貨店の方々からおっっしゃっていただきました。
この催事の空間、とってもよいと。
お客様と作家が豊かに言葉を交わし、目当てのものだけをゲットするのではなく、
ぐるぐると時間をかけて作品巡りをしてくださる様子が。
これって「工房からの風」、そのものです。
あの野外ならではの和やかさが、賑わいの百貨店の中で再現されている。
そして、共通なのは、その場の方々の表情、笑顔。
入手することだけが目的ではなく、真剣に作られたものを介しての交流が生まれていること。
そのことが放つよきエネルギーが、きっとあの独特な雰囲気を生み出しているんですね。
賑やかだけれど、和やか。
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けれど、企画者としては、今展ではまだまだ、だと思っています。
作家のモチベーションにばらつきがありましたから。
今展のために命を削るかのごとく制作に励んだ作家もいれば、
通常の流れで参加くださった方もいます。
それは、企画者の私の力不足ですね。
よく自覚しています。
でも、そういうんじゃだめだよね。
もったいない、ってはっきりわかってしまった。
なので、次回(おそらく来年の春に同会場)には、
すべての出展者ともっともっとやりとりをして、
進化した仕事を全員に見せてもらおうと思っています。
伊勢丹での「『工房からの風』から」展は、そういう機会、土壌として存在するように。
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このブログは2年も前から作っていながら、なかなかアップできなかったのでした。
でも、今日がちょうどよい日和となりました。
お知らせではない、私の心の庭での種や芽、花や果実の移ろい。
ときどき記していきますね。

心の庭

こんにちは、稲垣早苗です。
ブログを個人で始めたのは2004年12月1日のことでした。
デンマークで撮りためた写真を整理しよう!
そう思い立って始めたhinataというハンドルネームでのブログ。
これがネットを通じた人の輪の始まりでした。

その後、ニッケのお庭のこと、
「galleryらふと」のこと、
「工房からの風」のことを綴っていくうちに、
「手しごとを結ぶ庭」を出版する機会に恵まれ、
「ヒナタノオト」を日本橋にオープンすることにもなりました。
ブログを通じて自分の心の姿が整えられていったり、
ブログを介して豊かな人との出会いを重ねられたり。
ブログにはたくさんの恵みをいただいてきたように思います。
今も「ヒナタノオト」と「工房からの風」のブログを綴っています。
けれど、訪ねてくださる方が増えるほどに、
それぞれの場以外のことを、いつしか書かなくなってしまいました。
なんだか場違いなような気がして。
「ヒナタノオト」や「工房からの風」の情報を求めてくださる方へ、
私個人の心の動きを伝えるなんて、ヘンだよねーと思えてきたのです。
そのうちfacebookやインスタグラムも始めましたが、
その楽しさ?と私にとってのブログが果たしてくれていたことは、
何か違うんだなぁ、とようやくわかってきたのかもしれません。

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庭がたくさんのことを教えてくれました。
一木一草、その姿からは自然のことわりを。
添える想いと手の営みからは、
見ること、感じること、考えることの大切さを。
ひとつひとつの個が熟していながら、
和してひとつの空間を生み出す庭というものの在り様が、
今の自分の仕事、そして生きていく姿の骨格となっています。
とはいえ、まだまだまだ、、のへなちょこな骨格。
鍛えがいはあり過ぎなのですが。

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心の庭を耕したい。
心の庭を丹精する人と出会い、響きあい、
そのささやかな庭を楽園へと育みたい。
そんな想いを持っています。
ほかほかな土に、豊かな緑や花々、虫や小鳥が行き交うような庭を希って。