「初めての北欧」 佐藤暁子(nomama)

2017年夏の北欧行。

いつもは一人訪ねる北欧へ、今回はふたりの同行者が現れました。
陶芸作家の大野七実さんと織作家nomamaさんこと、スタッフの佐藤暁子。
ボンホルム島にある美術館での日本作家展への出品という目的も持ちつつ、
ちょうど背格好も同じくらいの愛らしい双子ちゃんのようなふたりと一緒の北欧は、
エルダーフラワーとバラが満開の初夏のベストシーズンと重なって、
新鮮な喜びに満ちた旅となりました。

イナガキの今回の渡航記を前に、nomamaさんからのお便りをお届けします。
(七実さんからも届くかな?nomamaさん第二弾もあるかな??)

イナガキサナエ

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数年前、ヒナタノオトの窓辺カフェでひとり、
コーヒーとケーキを楽しみながら、
穏やかな時間、少しのおしゃべりとボーっとできる空間の温かさに
なんとも言えない心地良さを感じました。
このひと時がデンマークの人たちの大切なヒュッゲという事を
この後、稲垣さんの本「北欧の和み」で知ったのです。

そこから私のヒナタノオト通いとデンマークへの憧れが始まりました。

そして気がついたらヒナタノオトのカウンターの中に入り、デンマークに来ている…

人生はなんて不思議で素敵なのでしょう。

何かの度に「デンマークに行きたい!!」と言っていた事が実際に叶った今回の旅は
言葉にするのは大切だな…と感じる旅でもありました。

旅の仲間は陶芸家の大野七実さん。
そして勿論、稲垣さん。
デンマーク、ボンホルム島での「Contemporary Japanese Crafts」と言う展覧会への出展を目的としつつ、
憧れのデンマークを体感する1週間です。

満開のエルダーフラワーとバラの香り、
鳥たちの歌声にあふれた6月のデンマークは
陽の光が長く輝く季節。

祝福されているようで、毎日がキラキラと輝きに満ちていました。

ただ良い季節に来たからではなく、
ただ旅先での開放感からではなく、
この国には心を自由に豊かにする何かがある。
それは何なのか….

答えは何百年も暮らし継がれた彩り豊かな家や
そこに暮らす人たちから教えてもらいました。

自然に対しても、家に対しても
「住まわせてもらっている」と言う人間主体じゃない暮らし。
自然と共に、時間や空間を大切に….
そこから自由な生き方、生きる喜びを大切にする暮らしが成り立っているんだな….と。

そして、なんと言っても人生の先輩達のチャーミングさと言ったら!!
チャーミング先輩だらけなのです。
いくつになっても生きる事に喜びと希望を持てる人生。
それがデンマークなのだと感じました。

デンマークに通い続けている稲垣さん。
通い続けた人に連れて来てもらった旅。
良いとこ取りの旅だから気付けた事かも知れません。

旅で感じたデンマーク、旅で語った言葉のひとつひとつを
そのまま日本に持ち帰りました。
ヒナタノオトのヒュッゲに、
制作のワクワクに、
チャーミングな生き方に、
すべてに素直に表れる事を願って。

スタッフ 佐藤暁子(織り作家nomama)

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チャーミング先輩!とは、nomamaさん言葉ならではのデンマークの人々の印象。
いくつになっても、年齢のせいで想いをあきらめないのが、
出会ったデンマークの人たちのすばらしさでした。
やってみたいこと、いってみたいところ、、、、。
あとさき、ではなく、今。
今を精一杯味わって生きる。
そんな姿に惹かれて渡航を重ねてきましたが、
nomamaさんは、それを見事に一回で感じ取られたのですね。
ところでnomamaさん、フィルムカメラで撮影していました。
上の画像、デジタルとは趣がちがいますね。
どこかノスタルジックな感じというか。
私は個人的に最後の写真がうれしかったです。
いつもひとりなので、自分の写真がなかったので。
扉や窓や壁、、、そう家や家並みの写真ばかり。
その中に自分は本当にいたんだー、と、
愛してやまない風景の中にいる自分と再会できたことも、
よき同行者を得た喜びでした。

イナガキサナエ

富井貴志さんのホオノキのタイル皿

私の「器」との出会いはいつのことでしょう。
生家の和菓子店で甘味と共にある姿。
成人して習い始めた華道。
でも、深く出会いを得たのは、
器を紹介するというこの仕事と巡り合えてからだと思います。

ギャラリーショップでは、食べ物や花は、どちらかと言えば添え物です。
作家の方々が丹精込めて作られた器が映えるように、
食物や草花を、そっと添えていくことを学びました。
そんなことを繰り返していくうちに、
自分の暮らしの中、日々の盛り付けや、花生けの姿も
ゆっくりと変わっていきました。

間、というのでしょうか。
呼吸、というのでしょうか。
私にはうまく言葉にできないのですが、
器と料理や、器と草花が、ともに心地よさそうにしてくれる一点が
少しずつ感じられるようになってきたのです。
素晴らしい花人や料理家の方には遠く及ばないことではありますが、
私なりの心地よい一点を、この場からお届けできましたら幸いです。

富井貴志さんのホオノキのタイル皿。
タイル皿の黒漆仕上げ、表面の美しい波のような姿に合った時、
すぐに浮かんできたものは、チョコレートを盛りたい、でした。
何軒か探して、イメージに合うチョコレートを求め、
タイル皿にクルミとピスタチオを合わせて、想いは完成しました。

富井さんに伺ったところ、表面の彫りは下書きなしで思うがままに
手と刃と共に進めていくそうです。
何時間でも眺めていたい美しいリズム、表面から底部分に向かってわずかに傾斜があり、
その立ち上がり感で盛ったもののをより引き立ててくれます。

今度は、小振りのお饅頭を盛ってみたいと思っています。

庭のほとり

5月の半ば、ずっと携ってきた庭とギャラリーで
大野八生さんの展覧会を開きました。
「庭とアトリエ」。

ガーデナーであり、イラストレーターでもある
大野八生さんの両方のお仕事を見ていただける機会になりました。

庭、ほんとうにきれいでした。

何も言わず

ただ、輝いて

伸びていく

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光の中で、草花とただ共にあると、
もう、それだけでいいじゃない、
今、ここにいるだけでものすごい幸せ。
そんな平らかな気持ちに満たされるのでした。

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八生さんの絵に囲まれた空間に何日もいると、
ああ、このひとは本当に草花とともにいる人なんだなぁ、
としみじみ思う。
草花とそれにまつわる、虫や動物。
写実的ではないから「事実」ではないけれど、
描き手にとっての「真実」の姿。
その真実が愛おしくって、絵の世界に入りこむ。

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日々、たくさんの作り手の方々と接する幸せな中で、
珍しくびっくりするような残念なことがあった。
やりとりを重ねるほどに、がっかりするような単語
(言葉といいたくないなぁ)がもれなく付いてくる。
善悪や是非を超えて、底辺に、前提に、
愛がないなぁ、ということに心がしぼむことが続いた。
そんな日々を経て、「庭とアトリエ」展。
「愛があるなぁ」としみじみ。
と同時に、ある?ない?なのかな、愛って。
そんなことも思った。
愛があるなぁ、というのは、佳きことを信じているなぁ、
ということなのかもしれない。
八生さんやその絵、この場に集う方々と過ごす時間の中で、
そう気づく。
心を疑ったりしない、顔色を窺ったりしない。
起点が信じているところから始まっている。
間違ったり、困ったことが起こっても、
信じているところに軸足があるから、不愉快にはならない。
愛がないなぁ、と感じた諸々のことは、
佳きことを信じていないなぁ、ということだったのかもしれない。
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今年も藍の生葉染めをたくさんの人と楽しめることでしょう。

大豆も蒔いてみたのです。

芽っていいですね。
自らの殻を破り、土を割って、太陽に向かって伸びていく。

植物がそれぞれの速度で生長している空間、
その傍らで、人が佳きことを空気のように信じながら成長して、
その営みを感じ合うために集う。
ああ、こんなことがしたかった。
こんな場所が作りたかったんだ。
地球の、宇宙の、ちっぽけな点のような場所だけれど、
確かに愛がある時空。
佳きことを信じている時空。
これからも、そんな点を点しながら続けていこう。
(点(テン)と点(とも)すって同じ字なんだね)

機会をつくる、土壌をつくる

工藝を通して、人のよき営みの場づくりをする。
作る人、使う人。
それぞれが関わり合って心豊かに今を生き、これからの今に光を抱けるように。

仕事は土づくり。
土壌を作ること。
工藝を介した営みが、有機的に育まれる場、機会を創ること。
作り手が世に出る土壌として「工房からの風」の企画運営。
世に出たあとの進化成長の土壌として百貨店催事などの企画運営。
書籍や小冊子、webでの文章を通しての発信。
日々集える場として都心でのギャラリー・ショップ(ヒナタノオト)の運営。
工藝、暮らしに生きるものづくり。
それらが育まれていくための一滴となれるように。
そう希って場づくりを進めていきたいのです。

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ああ、すっきりしました!
今まであちらこちらにぶつかりながら考え、進んできたこと。
ようやく進べき航路が鮮やかに見えてきたのです。
昨年のメセナ大賞から、今回の伊勢丹展を通して。
工房からの風は、これから世に出ていく作家のための豊かな土壌に。
百貨店催事は、世に出たあとの作家がよりよい仕事へ進み、継続させていくための土壌に。
これらハレの機会のほかに、
ケ(日常)の場、基地のような場として、都心にヒナタノオトを。
私自身が「もの」を示すのではなく、
ひとつひとつ咲くべき花、生すべき果実にとってのよき土壌を育むこと。
工藝やものづくりにおける「派」!?や考え、感性の傾向にとらわれず、
ひとつひとつの草木の可能性を引き出せるように励むこと。
でもね、もちろん、何でもあり、ということではありません。
そう、ここでも庭、をたとえにしてみましょう。
創りたいのは、今、美しいと思う草花ばかりを集めた単一な庭ではないのです。
今、美しいと感じる草花に心寄せ、庭の中で響かせながら、
これから芽吹き、生長していくものの余白をもった庭。
といったらよいでしょうか。
その折々にどう映るか、奏でられるか。
その美しさ、ハーモニーには、もちろん私の目と力が問われることと思います。
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今回、お客様や百貨店の方々からおっっしゃっていただきました。
この催事の空間、とってもよいと。
お客様と作家が豊かに言葉を交わし、目当てのものだけをゲットするのではなく、
ぐるぐると時間をかけて作品巡りをしてくださる様子が。
これって「工房からの風」、そのものです。
あの野外ならではの和やかさが、賑わいの百貨店の中で再現されている。
そして、共通なのは、その場の方々の表情、笑顔。
入手することだけが目的ではなく、真剣に作られたものを介しての交流が生まれていること。
そのことが放つよきエネルギーが、きっとあの独特な雰囲気を生み出しているんですね。
賑やかだけれど、和やか。
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けれど、企画者としては、今展ではまだまだ、だと思っています。
作家のモチベーションにばらつきがありましたから。
今展のために命を削るかのごとく制作に励んだ作家もいれば、
通常の流れで参加くださった方もいます。
それは、企画者の私の力不足ですね。
よく自覚しています。
でも、そういうんじゃだめだよね。
もったいない、ってはっきりわかってしまった。
なので、次回(おそらく来年の春に同会場)には、
すべての出展者ともっともっとやりとりをして、
進化した仕事を全員に見せてもらおうと思っています。
伊勢丹での「『工房からの風』から」展は、そういう機会、土壌として存在するように。
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このブログは2年も前から作っていながら、なかなかアップできなかったのでした。
でも、今日がちょうどよい日和となりました。
お知らせではない、私の心の庭での種や芽、花や果実の移ろい。
ときどき記していきますね。

心の庭

こんにちは、稲垣早苗です。
ブログを個人で始めたのは2004年12月1日のことでした。
デンマークで撮りためた写真を整理しよう!
そう思い立って始めたhinataというハンドルネームでのブログ。
これがネットを通じた人の輪の始まりでした。

その後、ニッケのお庭のこと、
「galleryらふと」のこと、
「工房からの風」のことを綴っていくうちに、
「手しごとを結ぶ庭」を出版する機会に恵まれ、
「ヒナタノオト」を日本橋にオープンすることにもなりました。
ブログを通じて自分の心の姿が整えられていったり、
ブログを介して豊かな人との出会いを重ねられたり。
ブログにはたくさんの恵みをいただいてきたように思います。
今も「ヒナタノオト」と「工房からの風」のブログを綴っています。
けれど、訪ねてくださる方が増えるほどに、
それぞれの場以外のことを、いつしか書かなくなってしまいました。
なんだか場違いなような気がして。
「ヒナタノオト」や「工房からの風」の情報を求めてくださる方へ、
私個人の心の動きを伝えるなんて、ヘンだよねーと思えてきたのです。
そのうちfacebookやインスタグラムも始めましたが、
その楽しさ?と私にとってのブログが果たしてくれていたことは、
何か違うんだなぁ、とようやくわかってきたのかもしれません。

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庭がたくさんのことを教えてくれました。
一木一草、その姿からは自然のことわりを。
添える想いと手の営みからは、
見ること、感じること、考えることの大切さを。
ひとつひとつの個が熟していながら、
和してひとつの空間を生み出す庭というものの在り様が、
今の自分の仕事、そして生きていく姿の骨格となっています。
とはいえ、まだまだまだ、、のへなちょこな骨格。
鍛えがいはあり過ぎなのですが。

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心の庭を耕したい。
心の庭を丹精する人と出会い、響きあい、
そのささやかな庭を楽園へと育みたい。
そんな想いを持っています。
ほかほかな土に、豊かな緑や花々、虫や小鳥が行き交うような庭を希って。